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Visions of Masochist
自分を律し、行き先を指し示す【Vision】。 しかし、行き先の分からない「背徳の幻想」が、私の中には存在する。
頭で達する絶頂【04】
 性的な昂奮を一方的に与えられて到達した「頭で達する絶頂」は、それまで、女装して男性から与えられた性の悦楽とは少し、違うものだったのかもしれない。

 考えて見れば、一人の「生物学的な牡」が、「生物学的な牝」と性の悦楽を育むことは、元々当たり前のことだ。男性の心と体を持つ私が、女装し、男性からM「女性」として扱ってもらわなければ、求めていたMの快感に到達できないと考えていたことの方が、不自然だったのかもしれない。

 あれほど、長い間「M男性」としての自分を受け入れられなかったことが、今になって見れば少し不思議に思える。何のためらいもなく「S女性」から「M男性」として扱われることで得た絶頂が、猛々しい性器からの射精を伴わないものだったことだけが、「生物学的な牡」の形に合致しないだけのことなのだろう。

 一方、「射精的」な快感は、何も、射「精」に限られないのも、M男性なら知っていることだと思う。
 
 「堪えに堪え、身体の内部で溜まったエネルギーを一瞬で放出する」

 射精の快感、男性的な絶頂の感じ方のエッセンスを抽出すると、そんな描写になると思う。限りある性、と評されるのはそのためだろうし、だからこそ、一方的に女性を「抱いて」、「徹底的に感じさせ」、「何度も何度も女性だけを達させて自分は堪える」ことに男としての悦びを見いだす人が多いのだろう。

 全身全霊で手に入れたいと願った女性が、自分の行為で今、悶えている。その彼女から伝わってくる柔らな感触から得られる心地よい快感が、今にも自分を暴発させそうな切迫感を、自分自身でコントロールしつつ、完膚無きまでに女性に絶頂を与え、最後に射精して終止符をうつ。

 独りよがりといえばそれまでだが、一般的な男性の描く「カッコいいSEXをする自分」の姿というのはそんなものだ。

 残念ながら生物学的男性であるかぎり、女性の快感を完全にシミュレートして味わうことはできないから、私は、代わりに全身の様々な箇所から異なった刺激を与え、それを限界まで全身に溜め込みながら、最後に射精してピリオドを打とうとしていた。

 浣腸を使った排泄欲求に堪えた後、放出して終止符を打つ瞬間は、第二の射精感覚だと思う。浣腸による苦痛は、私が最初に身体が震えるほどの衝動を受けた「蘭 光生」や「結城 彩雨」氏の作品の中心的なモチーフだったから、一人で自分を慰めてきた頃からいわゆるネット調教、の頃まで、責め具として一番親しんで使い続けてきた。

 しかし、一人で浣腸して、ただ時間を過ごすだけでは、それほど長い時間堪えられるはずもなく、「堪え方」が足りない分、放出の快感も少ししか得られなかった。

 「いかに限界まで、堪えるか。苦痛の限界を高く、強くするか・・・。」

 何らかの方法で、脂汗がでるほどまで堪えた後、足取りを乱しながらトイレに駆け込み、数回性器を擦過すれば、前後から「射」精感が同時に訪れて全身を支配した。

 しかし、その絶頂感が去った後、更に全身を覆う便意は、決して性的欲求に沿った苦痛ではなくなる。いくら女装をしても、小説やビデオのヒロインに感情移入していても、「射精」をしてしまえば男性の性的昂奮は途切れ、便意は便意として身体を苛むだけだった。

 (排泄の瞬間に、射精をしなければ、浣腸の苦痛を責めの道具として使い続けることは出来るのかもしれない。)

 もう随分前に考えていた疑問が氷解したのはつい最近である。

 そして、その疑問の後、私は、更に悩ましい状況を味わうことになった。

・・・【05】に続く。
 
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