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Visions of Masochist
自分を律し、行き先を指し示す【Vision】。 しかし、行き先の分からない「背徳の幻想」が、私の中には存在する。
捧げられるもの
 いくら頑張っても、甘い果実を口にするチャンスが得られない時期がある。

 チャンスに向かって努力することで、日々の充足感を得られることもあるけれど、果実がなければ努力もしない、などということはできず、短いダッシュを続けながらいつまでもゴールが見えないような感覚を覚えている。

 御主人様と下僕という関係になるまで、随分長い間「SMの趣味をもつ友人」のような不思議な関係が続いた。

 1年近く会わない時も、数ヶ月全く連絡を取らなかった時期もある。私はその間、「女装遊戯」に傾倒したり、他の女性に男性として心を奪われたり、そして、何人か別の女性とネット上で繋がりを持とうとしていた。

 一人の「野良M」として放浪する間、何度か課され、そのたびに果たせずに挫折しては関係を絶つ原因になったのが、

 「射精管理」

である。
 私はあまりblogをチェックしない方なのだけれど、めずらしくいくつかリンクを辿るうちに、nicenurseさんの「元看護婦の射精管理日記」にたどり着いた。

 M男性にとって、射精の管理を委ねること程「自分を捧げる」行為に近いことはない。そのことを実感しているからこそ、何人かのS女性は私に射精管理を誓わせたのだろう。

 御主人様との逢瀬は、私にとって、甘い果実以外の何物でもない。逢瀬の間与えていただく痛みも、舌を這わせることを赦す行為も、そして身体を許して頂くことも、全てが果実だ。

 時折、与えて頂くだけの自分に疑問を抱くことがある。

 喉の先まで、射精管理を委ねることを誓う、と言いかけ、何度やってもその戒めを守れなかった自分の甘さと弱さを思い、ためらう。逢瀬の時以外に、御主人様に捧げられるものといえばそれしかないことはもうわかっていることなのだ。

 なのに、その誓いが、まだできない。

「元看護婦の射精管理日記」の中には、私ができない「誓い」を実現している男性が、何人もいる。

 「誓い」を捧げた男性たちは、確かに「それ以前」よりも後ろめたさのない、素直な顔を見せているように見える。それは、性衝動を思いのままに慰めた後に残る虚しさから自由になれた証なのかもしれない。

 時折悲痛にも見える射精欲に苦しむ声や、やっと許されたチャンスの前に我を忘れてしまい、更に苦しむことを命じられる姿を晒す男性一人一人にその都度丁寧にその感情を受けとめて言葉を返し続けていくことは、並大抵のことではないだろう。しかも、相手は逢ったこともない男性なのだから。

 何年もの間、少しづつお互いの心を開き、悩みつづけて主従を結んだ御主人様に対してすらその「誓い」ができない自分を、恥じる。

 御主人様の手で施してもらうこと、見つめてもらうこと、その充足感と幸福感の分、無視されたり放置される恐怖を思う。「命令」ではなく、「欲求」として射精管理を御主人様に提示できる日は来るのだろうか。

 決して破らないと誓うことを、誓った後で破ってしまう甘さを、今度こそは断ち切れるのだろうか。

 「果実」を口にできない日が続く中、そんなことを、想う。
 
 
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