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Visions of Masochist
自分を律し、行き先を指し示す【Vision】。 しかし、行き先の分からない「背徳の幻想」が、私の中には存在する。
「大人の恋」を語る記事を見て、思う。
 「オヤジ」と呼ばれるであろう年代になった男性向けの雑誌を読んでいたら、M男性なら一度はその題名でオッ?と思ったであろう「ひざまずいて足をお舐め」を書いた山田詠美さんの特集記事があった。

 長い髪、肉感的な身体、ルックスが「いかにもS女性」に感じるのは私だけだろうか。写真集とかで鞭を持たせてしまえば大分カッコイイ写真になると思う。

 渡辺淳一の小説みたいな題名にしてしまったが、彼女が語る「大人の恋」の話しを聞きながら、めずらしく人の恋愛論を聞いてすとんと腑に落ちる言葉を見つけることになった。
 「大人になる」ことは、子供のうちは間違いなく憧れだし、早く手にしてしまいたいけどままならないものだった。

 最近は、そうじゃない「子供でいたい」人達も多いようだが、少なくとも私は、早く大人になってしまいたいと思って、育った。

 実際、大人と呼ばれる年齢になるまで、そんなに長い時間はかからないものだ。そして、きっとそこから10年くらいは子供のまま大人の道具を使うだけの時間を過ごすことになるのではないだろうか。

 今、「大人」といえば何歳のことを指すのだろう。

 「年齢だけの大人」の時間は案外早く過ぎ、身体能力の低下を感じ始める年齢にさしかかると、そこで初めて低下に抗おうとにわかにアンチエイジングに励んでみたりする。

 実際下降線を辿りはじめた自分自身の能力に逆らうことは容易なことではない。身体能力のパフォーマンスで生計を成り立てているごく一部の人以外、その下降線を受け入れる方が現実的だ。

 記事は、続く。

 「肉体が老化した分だけ、別のところは確実に進化する」

 「体力を失ったときに折り合いをつけられるものは、想像力と自分をいかに楽しませるかという奉仕精神みたいなものだけ。それを自分一人でやるより、も、同じように考えている男の人と二人でやった方が余程楽しいだろうというのが私の考え」

 なるほど、そうだ。

 こと、性的な行為に限っていえば、「大人になりたて」の頃の体験が貧弱なせいで、すっかり大人になった今でも、過去と比べて衰えたとは全く思えない。

 けれど、主従関係とSM行為で受ける様々な種類の皮膚感覚と、それに付随して昂ぶる自分の脳内衝動を味わい尽くすほど複雑な処理能力を昔から持っていたのかと言われれば答えはNoだ。

 それは、御主人様の存在があってこそ「身についた」能力で、少なくとも、様々な条件を提示し、一つ一つ確認して了承するような行為の先に得られた能力ではない。

 好みの顔だった、好みの身体だった、気が合うと思った・・・、と、若い頃の恋愛はどこか一つのポイントを目がけて突進しながら、「でも本当はこんなところは想像してるのと違った」ことを確認しては自分の価値観を脅かされたり、逆に自分の価値観でねじ伏せたりしていくことが多いものだと思う。

 「歳を取ってから自分の価値観をぶっ壊される恋愛していたら身が持たない」

 それが大人というものだ。

 普通は、「痛いところに触らない」「必要以上に深入りしない」という「割り切り」に変化させて折り合いを付けるのが「大人の恋愛」の一つの形だと思う。

 「痛いから触る」ことを許すのには、本当に勇気がいる。

 それを可能にするのは、「○○をしてくれるから」という何項目もあるチェックシートをクリアしたから、という事実ではなく「この人だから」という信頼感なのだと思う。

 信頼は、事実の積み重ねでしか、作れない。

 奴隷の側から抱く信頼感は、事実によって積み重なった強さがないかぎり、薄っぺらい「SM的プレイ」をこなすだけに落ちてしまう。

 確固たる信頼ができた後、揺るがない従属の証を事実で証明し、奴隷としての信任を得た後で、さらにその安定した感情を壊したいと言われ、その言葉に、心をわしづかみにされ、揺さぶられる。

 「大人になったM男性」の性衝動の業は、相当に倒錯して不可思議なものになった。

 少なくとも、私の身体の中においては。

 
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